一輪の花が咲いていた。
周りには見渡すかぎりの砂漠が延々と広がっているだけの、生命の息吹を微塵も感じさせない場所に吹き荒れる砂嵐とこうこうと照りつける灼熱の太陽にも動じず一輪の花はまるで誰かをまっているかのように、力強く咲き続けた。
花は考えた。
自分はどこから来て、なぜこんな場所に一人で咲いているのだろうか?
考えても考えても結論は出ず、たいてい一日はそれで終わってしまう。
夜の砂漠は昼とはうって変わり、ひんやりと冷たく、どれだけ耳をすましても物音一つしない静寂と沈黙のみが支配する世界。
の、はずだった。
来る、
誰かが来る・・・・。
沈黙という人混みをかきわけるように、一つの意思をもった何者かの気配がだんだんと近づいてくる。
花がおそるおそる顔を上げると、そこには一人の男が立っていた。
眼光は鋭く、身にまとっているものはボロボロ、誰も信じない、人を愛した事も、愛された事もない。男の背後からは平和で平凡な人生とはほど遠い、いろいろなものを背負ってきた十字架が見えたような気がした。
「まるで野良猫みたいな奴だな。」
それが花の、最後の記憶だった。
砂漠の中を、まるでなにかにとりつかれたかのように、ひたすら歩き続ける男の足元には、ただの残骸と化した花が力なく横たわっていた。
どこから来たのか?どこに向かっているのか?俺は誰だ?職業は?家族は?恋人は?
・・・・男にはそんなことはもうどうでもよくなっていた。
俺にはもう、なにもかにもどうでもいい。ただ早く眠りにつきたい。全てを忘れるために。辛い事、悲しい事、楽しい事、いろいろな時間を共有してきたはずのたくさんの人達に、サヨナラも言わずに背を向けたんだ。誰も止めてくれるとも思っちゃいないし、泣いてくれるとも思っちゃいない。
しょせん自分はそんな存在だったんだ。人々の記憶からなんて、砂浜に書いた落書きよりも簡単に消えてしまうだろう。
俺はもう一人なんだ。誰とも群れない天涯孤独の野良猫になっちまったんだ・・・・
もう、戻れない。
男はひたすら歩き続けた。ふと気がつくと
砂漠の真ん中に、海が見えてきた。
どこまで続いているのかもわからない途方もなく大きい海が・・・・。男は、なんの躊躇もなく海へ向かってつき進む。
深い深い終わりのない深海へたどりついた時、今まで一度も休む事もせずに歩き続けてきた男は、やっと眠りについた。永い、永い眠りに・・・・・・・。
と同時に、生命を無くし砂漠の残骸と化していたはずの花に、裏切り・嫉妬・妬み・友情・愛情・悲しみ・・・様々な覚えのない記憶が次々と刻まれていった。
記憶が刻まれていくたびに花は原形と生命を取り戻し、いつしか花は返り咲いていた。
花は思った。いくら綺麗に咲いてみたところで見てくれる人もいない。子孫を残す事もできない。自分がなんのために生まれてきたのかわからなかったが、これで自分にやるべき事ができた気がした。
自分の中に刻みこまれたこの膨大な量の記憶を、砂漠に書き写していこう。
何日、何年かかるかわからないが、休みながらでもいいから書き写していこう。
何故に書き写すという使命を背おわなければならないのか?
答えは、いずれ見つかるだろう。
そろそろ夜明けも近い、今日のところは、ひとまず眠ろう・・・・・・。
月明かりに照らされながら
まどろみの世界にひきこまれていく時
遥か遠くの方から、猫の鳴き声がうっすらと聞こえたような気がした。