チコは僕が生まれる前からおばあちゃんの家で大事に育てられ、僕がものごころついた時には5匹の子供を育てあげた立派なお母さん猫だった。
年齢は人間に直せば90才(猫年齢23才)はいっているにもかかわらず動きは活発で気品があり好き嫌いもなく、朝起きると日課になっている家の回りのパトロールを雨の日だろうが一日も欠かさないという元気っぷりだった。
あまりに元気すぎて「チコ・ねこまた説」も流れたほどだ。
小学生の時、両親が共働きだったのでカギっ子だったと同時に、他の追随を許さない完全無欠のいじめられっ子だった僕には友達はチコしかしかいなかった。
学校が終わるといじめっ子につかまらないように速効で家に帰り、自転車を飛ばしておばあちゃんの家に行き、チコと一緒に遊んだ。
僕が庭の砂場で遊んでいるのを見つけるとトコトコ歩いてきて一緒に砂をほじくったり、ネズミのおもちゃで一緒にじゃれあったり、僕がドラクエをやっていると、リセットボタンを押しに来たり、一緒に夕焼けを見てたそがれたり・・
僕がいじめられて泣いていると、いつのまにかそばにいて、子猫をあやすようにやさしく涙をふいてくれた。
話し相手がいなかった僕の今日一日学校であった話などを、言葉がわかるはずもないのに、やさしい顔でずっと黙って聞いていてくれた。
僕が悪い事をすると、怒って容赦なく顔面に猫パンチをくらわせてしかってくれた。
チコの子供達は残念ながら病気ですでに死んでしまっていたり、他の家にもらわれていってしまっていたので、今思えば僕の事を子供だと思っていたのかもしれない。
たまにチコは悲しそうな声で誰かを呼ぶように鳴いていた。
おばあちゃんいわく、いなくなってしまった子供達を呼んでいるらしい。
呼んでもくるはずのない子供達を。
チコもまた、寂しかったのかもしれない。
そんなチコに僕ははじめてもらったおこずかいで、毛布を買ってあげた。
チコは喜んで毛布にくるまり、そのままスヤスヤと眠ってしまった。それを見つめながら、僕もいつしか寝てしまった・・・辛かったけど、チコが支えになっていてくれた、そんな毎日だった。
それから月日は流れ、中学生になった僕は友達もでき、剣道でそこそこ強くなり、完全に天狗になっていた。
おばあちゃんの家にも行かなくなり、悪友達とやんちゃな事ばかりして毎日を過ごしていた。
そんなある日、友達と帰宅途中に捨て猫を見つけ、雨の中で震えている子猫があまりにもかわいそうだったので、友達が飼う事になった。
それからは学校が終わると友達の家に寄っては子猫と遊ぶ毎日だったが、ふと、チコの事を思い出し会いたくなったが、思春期だった僕はおばあちゃんの家に行くのがイヤで、結局そのまま長い間チコに会うことはなかった。
中学3年生のお正月に親戚みんなでおばあちゃんの家に集まることになり、イヤイヤ連れていかれた僕は誰ともしゃべりたくなく、久しぶりにチコに会おうとしたが、いくら探しても姿が見えない。
玄関にも、お気に入りだった座布団の上にも、僕が買ってあげた毛布の中にも、一緒に夕焼けを見ていた庭にも、どこにもいない。なんとなく胸騒ぎをおぼえた僕は、おばあちゃんにチコの居場所を聞いた。
「チコはね、永遠の眠りについちゃったんだよ…」
その時はなにを言われているのかまったく理解ができず、厳しい現実を理解するのにかなりの時間がかかった。
庭に出て、今まであるはずもなかったチコのお墓を見た瞬間、状況をやっと理解できた僕は膝から崩れ落ち、泣いた。
人目もはばからず、今まで生きてきた中で一番泣いた。
泣く事でしか今のこの感情をぶつけるところが見つからなかった。
その涙はいじめられていた時に流していた涙とはまったく違う涙だった。
いろんな思い出が涙と共に洪水のようにあふれてしまっていた。
チコと遊んでいた時の楽しい思い出、僕を子供のように思っていてくれたチコ。なのに、なのに僕はチコの事を忘れ、自分勝手に自分の都合で会おうともしなかった・・・
チコがどう思っていたかは知らないが、僕は悲しくて、くやしくて、さびしくて、どうしていいのかまったくわからなくなってしまっていた。
ただ、ただ、チコのお墓の前で泣きながら「ごめんね・・ごめんね・・・」とつぶやくことしか、僕にはできなかった・・・・。
チコ、僕は今でも、チコの事を思い出します。
チコが使っていた毛布、今でも大事に使っているよ。
僕がそっちに行くのはいつになるかわからないけど、次に会う時は、また前みたいに遊ぼうね。
それまで、僕はチコに教えてもらった事を忘れずに、少しでも恩返しできるように精一杯がんばります。
また一緒に夕日を見つめよう。そのときには、楽しい話もできるようになっていると思うから・・・・
またね、チコ。